早朝のウオーキング中で

 早朝のウオーキングを初めてもう少しで2ヶ月になります。車では見過ごしている風景等、様々な事が発見できます。

 今朝は、アブラゼミの羽化しているのを見ることが出来ました。子供の頃の記憶ですとごく当たり前のことでしたが、社会人になってからは見るチャンスがないですね。

 セミの一生は産卵してから6年ぐらいで、羽化してから成虫になって通常で2〜3週間位、最長で約1ヶ月のようです。
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羽化して暫く時間が経ったアブラゼミ
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これらの写真もウオーキング中に先日見かけました。イソガニだと思いますが、飼われていて逃げ出したのでしょうかね。 住宅地の道路で
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このムカデは頭部の毒爪に毒腺を持っているようです。生息場所は、大型のものは屋外の草むらや森林の落ち葉の下、朽木内、石垣の間などです。ただし、ゴキブリなどのエサを捕食するため、家屋内にも侵入することもあるそうです。我が家ではみたことがありませんが。
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へびも住宅地では最近めったに見ませんが田んぼや、山林にはいますね。シマヘビのようです。
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毎朝、同じコースを歩いていると、こちらの畑のナスがちょっと気になります。日毎に大きくなってますよ。
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波除不動尊



 中峠外谷津公園の交差点から古利根に向かい、約300M程行くと「波除なみよけ不動尊」が奉られている。

 この不動尊は弘法大師が大谷石で造ったと云われ、不動尊の由来について昭和5年12月、中島庄太郎建立の由来書の碑があり、この由来書によると、江戸時代の寛永7年(1630年)利根川の出水により崩壊するこが多く、このため享保3年(1718年)にこの場所に安置した。

 その結果240余年の今日まで崩壊が無く不動尊の加護によるものであると記されている。

 尚、この由来書では中島庄太郎とは何処の人かは記されていない。

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外谷津公園の交差点を入ると道標があります。ここへくるのに便利なのは天王台北口より、大和団地行きのバスが便利です。
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さらに進と駐車場があり、釣り人がよく止めてます。
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右側の山裾を行くと右側に不動尊があります。
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扉を開くと弘法大師が造ったと言われている不動尊が見ることが出来ます。
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祠からの古利根
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祠から下流に沿って道が続きます。
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ここより先は行けません。
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我孫子側にある取手市の小堀の渡し

 昨日は久々に、涼を求めて小堀(おおほり)の渡し船に乗りに行きましたが、暑さは強烈でした。

小堀にの渡しについて。 

 昔、取手付近の利根の流れは現在より南側に大きく蛇行していました。

 明治の末期、国は水害からこの地域を守るために流れを直線に変えるべく大改修工事を着工しました。

 利根の流れは様相を変え、新たに堤防も築かれ大正9年に完成しました。蛇行していたため
にそれまでは取手側に位置していた井野村小堀(おおほり)地区(現取手市小堀)は流れの南側へと分断されてしまいました。

 生活に不便をきたした小堀地区地区住民は、大正3年、新河道に通水された時から、自分たちの手で渡しを始めました。

 昭和42年、小堀の渡しは取手町営(現市営)になり、大正3年から90年以上経過する今日まで運行されてます。

 平成11年、小堀循環バスが運行を開始するまでは、小中学生の通学の足として住民の生活の足として活躍してまいりました。

 その後、小堀地区住民に限らず誰もが乗船できるようになりまた。
 
 平成13年からはは料金が設定され、1運行経路につき100円(往復200円)で乗船できます。

 近年、常磐線鉄橋下に国土交通省巡視船の桟橋ができたことに伴い、小堀の渡しもこの桟橋を利用し3点間を結ぶ渡しとして現在に至ってます。
  文、小堀の渡しパンフリットより

小堀地区からの渡し
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渡し場の近くにはボラの大群
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渡し船より常磐線方面
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船より取手の街
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ふれあい桟橋
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ここより又、小堀地区へ戻る

 船は、水曜日がお休みです。小堀地区からは午前9時30分より16時35分まで1時間毎に運行してます。


古戸の道標


 我孫子市古戸3番地に道標が置かれており、裏面には御成婚記念大正13年1月26日湖北村と刻まれている。

 この日は、昭和天皇が結婚された日で、お祝いに湖北村としてこの道標を造られたと思われる。

 正面には『正面中峠ヲ経テ我孫子松戸方面』左側面には『神出渡船場ヲ経テ茨城縣小文間方面』右側面には『古戸下新木ヲ経テ布佐方面』とある。


 現在、この道標がこの場所にあっても不思議ではありませんが、この道は昔からあまり重要な道だったとは思がたいのですけど、方向を表している内容には間違いがない。

 ただ、この場所近辺には家はないので、ある意味必要だったのか知れません。

 又、あえて天皇の結婚記念としてこの道標が造られたのは天皇崇拝という、国民的な気持ちが強かったのでしょうね。

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正面
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左側面
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右側面
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裏面
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