木の芯がが虫にやられてしまい、支えがないと倒れてしまいます。
毎年梅干しにしておりますが、我が家だけでは食べきれず、知人に差し上げたりしておりまが
溜まるばっかりです。
昨年は、嫁いだ娘が梅ジュースを作ってくれて大変美味かったです。
今年も沢山の梅が採れる事と思います。
]]>異常乾燥が続く中、ようやく1月31日の夜から雨が降り出し、雪に変わりました。
1日の朝、出勤途中に大和団地かNEC向かう途中の田圃の積雪の様子です。
幸いにも道路はチェーンを必要とせず走行が出来たので良かったです。
まだまた、異常乾燥が続いており全国ではインフルエンザが猛威をふるってますので、充分注意が必要です。
今朝のニュースでアメリカは大寒波が襲っており、南半球では大変な猛暑だそうです。
地球の長い歴史からみれば、温暖と氷河期の繰り返しですが、温室ガスの影響は非常に大きい影響があるそうなので
真剣に取り組まないとだめですね。
]]>
今日は昨日と違いあまり寒くなくてよかったですね。
私が子供の頃は、各地域で行われていたようですが、現在は大分少なくなっているようでよ。各家庭を数人まわり「しめくったい」といいしめ縄とお小遣いを貰い駄菓子やさんで菓子など買ったりした記憶があります。
いよいよ始まりです。昨年暮れに皆さんで茅を刈り入れして準備をしてきました。役員の皆さんで乾杯!!、お疲れ様・・・・
沢山のしめ飾り
会長さんの挨拶
いよいよ点火です。副市長も参加
豚汁も準備OK
勢いよくもえてます。
どんと焼きの準備
なかなかやけないなー。
おもちコーナーと豚汁コーナーは沢山の行列
ナガーい行列
私も並んでご馳走になりました。とても美味しかったです。ありがとうございました。
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年明け早々乾燥注意報が出ており、各地で火災が多発はしております。消防活動に従事されてる方々に唯々感謝です。
火災や事故等起こさぬよう十分注意して参りましょう。
式典の始まりです。
式次第により副市長による開式のことば。
消防旗入場
消防殉職者に対する黙祷
星野市長による式辞
消防団長訓示
千葉県知事(代理)による団員及び職員.団への表彰
表彰内容は以下のとうりです。
1.千葉県知事表彰 功賞章 2名 第 5分団 副分団長(氏名省略させて頂きます。)
第12分団 機械責任者(同以下省略)
精勤章 7名 第 2分団 分団長
第 5分団 団員
第 8分団 副分団長
第14分団 団員
東消防署 消防司令補
湖北分署 消防司令補
西消防署 消防司令補
2.防災危機管理部長表彰
防災危機管理部長章 6名
第 2分団 部長
第 7分団 機械責任者
第 9分団 班長
第13分団 団員
第15分団 分団長
第21分団 分団長
3.千葉県消防協会長表彰
功労賞 2名
第 1分団 団員
第 8分団 団員
精勤章 4名
第 3分団 分団長
第 6分団 分団長
第11分団 機械責任者
第16分団 分団長
4.我孫子市長表彰
精勤章13名
第 1分団 分団長
第 4分団 分団長
第11分団 副分団長
第11分団 班長
第13分団 団員
第14分団 副分団長
第15分団 部長
第18分団 副分団長
第19分団 班長
第20分団 団員
第20分団 班長
第21分団 部長
第21分団 団員
感謝状 4名
元第 2分団 (氏名省略)
元第 2分団 同
元第11分団 同
元第15分団 同
5.我孫子市消防団長表彰
分団表彰 5ケ分団
最優秀分団 第 5方面隊 第14分団
優秀分団 第 1方面隊 第 1分団
第 3方面隊 第 8分団
優良分団 第 3方面隊 第 9分団
第 5方面隊 第16分団
精勤章 第 3分団 副分団長(氏名省略)
第 4分団 部長 同
第 5分団 班長 同
第 6分団 副分団長 同
第 6分団 団員 同
第13分団 機械責任者 同
第16分団 部長 同
第19分団 部長 同
第19分団 班長 同
受章大変おめでとうございました。
来賓祝辞 県知事(県知事代理)
受章者代表謝辞
消防旗退場
閉式のことば。
第2部(演技)
1.我孫子市立湖北中学校吹奏楽部演奏
数々の演奏をされましたが、NHK東日本大震災復興支援ソングである、式に相応しい『花は咲く』の演奏はとても印象に残りました。場内からはアンコールの声も出て素晴らしかったです。
2.幼年消防クラブ演技(わだ幼稚園)
プロ顔負けの演技でした。相当練習されたのでしょうか。
3.一斉放水
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下の写真が現在の姿で田圃の稲も現在はすっかり生長し、稲刈りをまってます。
この田圃を左手に見て山裾の道を上がって行くと,涼しい風が汗をかいた体にすがしさをあてえてくれます。
さらに上がっていくと、雑木林がありとても良い気分にしてくれます。まだこの場所は自然があり、何時までも残っていて欲しいですね。
今朝のニュースでも東京でも開花が確認されたとか。
今日、11時頃我孫子市役所に用事があり、ついでに市議会議事堂の裏の駐車場で
開花を見る事が出来ました。
これからは、毎日桜の便りでにぎあう事でしょうね。
来月の上旬には市内のいたるところでお花見ができるでしょう。
なんとなく心がうきうきします。
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現在の焼却施設は昭和48年に竣工、破砕施設は昭和52年に竣工してそれぞれ40年と36年を経過し老朽化した施設となりました。
焼却施設は平成19年に実施した焼却施設精密検査をした結果、平成24年度から7〜10年程度耐用出来ることが確認出来たそうです。
新しく焼却施設と破砕施設の建設には約80億円程度の資金が必要との事でした。
国や県等からの補助金はあるそうですが大変な金額であり、市民としては出来るだけゴミの排出は最小限に留めるよう努力しなければなりませんね。
焼却炉の二基のうち、一基が保守点検のため一基創業のため、こんなに溜まってしまいました。写真の左柱側がゴミを廃棄する場所ですが、車の進入する処までゴミの山。
手作業で布と綿とを分離しています。再資源するのにも大変な事です。
ここに積まれた布団は、縫い目が細かいため廃棄処分となってしまう。
回収された衣服です。日本製品は織り方がよいので、使える物は東南アジア方面へ送られるとの事。 但し、布製品は必ず天気が良いときにステーションへ置いてもらいたいとの事。雨に濡れてしまうと製品として使えなくなってしまうそうです。
最後にクリーンセンターより報告された過去3年間のゴミのデーターです。
このデーターには災害廃棄物を除いた数字です。
数字を見ただけではちょっと見当もつきません。
つるしびなとは・・・・・
発祥は江戸時代と言われ、当時、一般家庭において、ひな人形は高価なものでした。
生まれてきた子供たちに「幸せになってほしい」願いを形にしたいと、周りの人たちが、少しずつ作成し、持ち寄ってつるしました。
これが「つるしびな」の始まりです。
ひとびとの想いが詰まった雛人形は、世代を超え現代にも受け継がれています。
ひなのまつり説明文より
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会場となった「けやきプラザふれあいホール」で10月6日の午後1時より午後5時過ぎまで12組の出演団体で行われました。
出場された方々は普段の練習成果を発揮され、見事な演奏会で会場は満席になる大盛況でした。
ラストステージでは会場からアンコールがあり、連続テレビ小説でおなじみの、あまちゃんの演奏で最後を飾りました。
第1ステージ 「我孫子アコーディオンクラブ」
演奏曲目:私の回転木馬ほか4曲
第2ステージ 「ジャズコーラス『ル・プランタン』の皆さん
演奏曲目:Moonlight Serenadeほか2曲
第3ステージ ハワイアンバンド「ハワイアンパラダイス」の皆さん
曲目:マイレスイングほか3曲
第4ステージ 大正琴「和み会」の皆さん
曲目 あまちゃんほか3曲(内時代劇メドレー4曲)
第5ステージ ハーモニカ・メイツあびこの皆さん
曲目:丘を越えてほか3曲
第6ステージ ホットポットブルーグラスバンドの皆さん
曲目:色汗し恋ほか3曲
第7ステージ 大正琴「林 奏楽会」の皆さん
曲目:もしもピアノが弾けたらならほか3曲
第8ステージ ハワイアンバンド「レイ・パラダイス」の皆さん
曲目:プアマナほか3曲
第9ステージ コカリナサークル“あびこ”の皆さん
曲目:峠の我が家ほか3曲
第10ステージ 大正琴サークル 「音の輪」の皆さん
曲目:エターナリーほか3曲
第11ステージ 「鈴木バンド」の皆さん
曲目:ブロークン・ハートほか2曲
ラストステージ 「ヴィヴァ・マンドリーノ」の皆さん
曲目:東京キッドほか2曲 アンコールにてあまちゃんの演奏
ところで秋の全国交通安全運動が、9月21日(土)から30日(月)まで実施されます。
期間中だけではなく、常日頃安全運転で行きたいと思います。事故は一瞬です。やってもやられても、事故は被害者です。
私も、現役で仕事をしておりますので、車は無くてはなりません。十分に注意して無事故、無違反で今後も運転したいと思います。(当然ですが)
千葉県に住む不思議ないきもの。
好奇心旺盛でいろいろなことに挑戦するのが大好き。
未知のものに立ち向かうときほど勇気と情熱がわき、
からだが赤く輝く。
食いしん坊でいたずら好きな面も。
<お誕生日>平成19年1月11日
横から見た姿が千葉県の形をしています。
作者
絵本作家・イラストレーター
千葉県市川市出身
JR東日本「Suica」のペンギンキャラクターを制作
経歴
平成19年1月11日、「ゆめ半島千葉国体」(平成22年9月25日〜10月5日開催)、「ゆめ半島千葉大会」(平成22年10月23日〜10月25日)開催のマスコットキャラクターとして誕生。両大会のPRを通じて、多くの人々の人気を集めました。
両大会が終了した後も、「県のマスコットキャラクターとしてぜひ残してほしい」との声をたくさんいただいたことから、平成23年1月より千葉県のマスコット
ところで、市内にある「水の館」の展望台より、西方面の田圃にチーバー君を稲でかたどって耕作している近所に住む方が、自宅の田圃に「あびこ♥」とチーバー君がつくられております。下の写真をご覧下さい。もう少しすると、はっきりと文字とチーバー君が見えるでしょう。大変よく出来てますね。この写真を見て頂くためにチーバー君を先にご紹介致しました。
分かりますか?左側に人らしき者はかかしで23体ありました。
以前は3か所で打ち上げられていましたが、今回は6か所で打ち上げられ、県内で最大級となる24,500発が打ち上げられ、夜空を飾りました。
一市民として、来年も開催されますように。
現在、この道標がこの場所にあっても不思議ではありませんが、この道は昔からあまり重要な道だったとは思がたいのですけど、方向を表している内容には間違いがない。
ただ、この場所近辺には家はないので、ある意味必要だったのか知れません。
又、あえて天皇の結婚記念としてこの道標が造られたのは天皇崇拝という、国民的な気持ちが強かったのでしょうね。
正面
左側面
右側面
裏面
毎日同じコース「手賀沼コース」ですと、風景に代わり映えが無いので、一昨日よりコース「利根川コース」を変えてみました。
普段は車での移動ばかりなので、細かな地域の様子は分かりませんが歩きですと、こんなものがあったのかとかで再認識できますね。
いろいろとご紹介したい事が沢山ありますが、今は梅の収穫時期ですね。我が家にも老木の梅の木が1本あり、梅干し造りの漬け込みが終わりました。
今日の内容は梅干しや、梅酒が好きな人が見たら、もったいないと思われるでしょうね。下手な文章より写真をご覧下さい。
鈴なりに実っている梅
この木の下はご覧の通り、収穫してません
こちらのお宅のも
もったいないですね。
このハムシは初めて見ましたが、害虫の名は「サンゴジュハムシ」と分かりました。人への被害はなさそうです。
オルトランとスミチオンをまぜて散布し、見事に全滅しました。
食い散らかされたサンゴジュ
元気なサンゴジュの葉
死滅したサンゴジュハムシ
早速確認しましたのでご覧下さい。
真ん中の部分が花(真花)です。
商品にするまでは、色々とご苦労がありますね。
収穫は丁度旧盆の8月中旬頃で、増田さん宅では市場等に出荷せず、自宅でだけの販売で売れてしまいます。
後方に見える細い木は、雹被害で植え替えたもので、やっと収穫出来るようになったそうです。
実が直径2?位でしょうか。今朝雨が降り、葉や実が濡れてますね。
七福神とは、福もたらすとして、日本で信仰されている七柱の神だそうです。
恵比寿 (日本の土着信仰)
布袋 (中国の仏教)
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調べて見ましたら確かにコスモスでした。
西洋藪苺(セイヨウヤブイチゴ)はヨーロッパから北アメリカが原産で、5月から6月ごろ淡桃色の花が咲き果実となる
果実は黄緑色、赤色、黒色と変化し熟すと食べられます。生食やジャムにします。
別名でブラックベリーとも呼ばれます。バラ課キイチゴ族の半常緑低木です。
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金宝樹は花後に枝に実を付けます。種は何時までも枝にへばりついています。山火事に逢うまで木についたままで種子を出さず山火事で木が死んだら実が割れて種子が飛び散る不思議な性質があります。
花がびんを洗うブラシに似ていることから、「ブラシノキ」とも呼ばれます。正式にはカリステモンとも呼びます。
個性的な雰囲気が庭木のワンポイントとしてよく映えます。
フトモモ科ブラシノキ属常緑低木です。
説明文 植物図鑑より
今朝、私も2回打たせてもらいました。鐘を打ちたい人には誰でも良いそうです。誕生日とかお祝い事があった時などよく来られるそうです。但し、朝夕の2回の時限定です。
鐘を今打っている人は、現在住職でなく、近所に住まわれている男性の方で、信徒でも無いそうですが6年やっているとの事。
また、浄土真宗の寺は市内ではここだけです。本堂は平成元年に建立、鐘楼にかかる鐘は平成3年9月14日と刻まれているが梵鐘は平成5年に建立されました。
この寺にも墓地があるが、墓石をみると江戸中期以降にこの墓地ができたようですがそれ以前の証拠となる墓石は文字が読めず分かりません。
この寺ができる迄は、何処の寺の管理だったか分かりません。
サツキ培養の歴史は、山間の渓流のほとりの自生地から、野生種が掘りとられ、庭園樹として使用されたことからはじまります。
日本に庭園がはじめてつくられたのは、飛鳥時代の推古天皇のころと伝えられており、以後、平安、室町時代へと急速な発展をとげました。
鉢植えのはじまりは、いつごろから培養し、鑑賞されるようになったかは正確な資料が非常に少ないので、明らかではありません。日本において、草木を盆栽として鑑賞することは鎌倉時代ごろからみられたという史実があります。
盆栽は、室町時代、豊臣時代、徳川時代へと盛んになっていったのですが、サツキも、この盆栽の初期の時代に庭木から見つけだされた変種や珍種を鉢植えとして培養されたと考えられます。
大正になると、東京ではじめて展示会が開かれ、いっそう愛好者の増加に拍車をかけ、また、このころ栃木県鹿沼地方一帯からでる鹿沼土がサツキの培養に最適であることが発見されて以来、宇都宮、鹿沼両地方が大生産地としてリーダーシップを握りました。
また、品種改良も、アザレアとを交配させるなどの育種研究も熱心に行われ、大正末期には一千種を超す品種ができ、全国各地でサツキ同好会が多くつくられ、展示会などの催しも盛んになりました。
「さつき」 沖田一栄・沖田好弘著より一部参考
会場の一部
系統:晃山×大盃
花形:花肉の厚い花容端正な険弁咲き。少輪
系統:不明
花形:多弁性で大波打ち咲き
系統:神撰×寿
花形:丸弁で花容端正。中輪
系統:晃山×大盃
花形:花肉の厚い花容端正な剣弁
咲き
系統:華宝の枝変わり
花形:波打ち咲き。大輪。
系統:晃山の枝変わり
花形:少輪
系統:不明
花形:五〜十二、三弁の采咲き。まれに正常五弁も咲く。小輪。
系統:古花
花形:花肉の厚い中輪
系統:十六夜×護美錦
花形:丸弁。大輪。
系統:旭鶴の自然実生
花形:波打ち咲き。大輪。
系統:崋山の枝変わり(白地がうすい柿色地に変わったもの。
ご紹介したものは一般的によく知られております。
華道の歴史について尋ねますと、元々は仏教に関連して僧侶が供花として行ったことから始まったそうです。
ウイキペディアによると、華道の確立は室町時代中期、京都六角堂の僧侶によるものとされる。僧侶は代々池のほとりに居住していたことから「池坊」とよばれていた。
そうした呼び名がのちに流派の名前となる。その後江戸中期から後期になると、華道はそれまでの上流階級・武家階級のものから広く庶民のたしなみへと変化し、生花(しょうか、せいか)を中心に広く愛されるようになったそうです。
−−−−−
本物のタマゴの殻と黄身が花、
ユニークな発想
生け花というか雑木林に花?申し訳ありません。
----------
すっきりした爽やかさを感じさせてくれます。
−----------
なんという発想でしょうか。鳥が舞う姿のなのでしょうか。
以上のコメントは私が思ったものですのでお許し下さい。
板碑は浄土信仰の高まりを背景に中世初期に誕生した供養塔婆で関東地方では緑泥石片岩を使用したことから武蔵形板碑、あるいは板石塔婆とも呼ばれる。
板碑の形は板状の石材の頭部を三角形に造り、一面に主尊と銘文を刻むことで一定の形をしている。
板碑の源流は、仏教教義では三宝(仏=仏像・寺院の建立、法=教典読誦、僧=喜拾)を尊重することで功徳を得られるとしていますが、平安時代末から仏法の衰勢する末法の世へ入ると考えられた。
武士政権の誕生や源平合戦に巻き込まれた武士や庶民まで極楽往生を強く願い阿弥陀如来にすがる浄土思想が広範の人々の心を捉えたようです。
ここに簡易な造塔により現世・来世を供養する方法として、浄土信仰の中に板碑発生の起源があっと思われる。
熊谷市文化財パンレット及び現地説明文より
文字は判別がつきませんでした。
説明文より(一部重複してます)。上の内容の文字が刻まれている内容
我孫子市史 民族文化財編の口絵を写したものですが、これを見ると文字は梵語でかかれております。
この卯木は本来の「うつぎ」というのは、ユキノシタ科のもので、名前の由来は幹が中空であることから、「空木=ウツギ」という名前が付いたのだそうです。
で、「うつぎ」を「ウノハナ」とも言います。卯月に咲くからという説もあるようですが、童謡・唱歌にも出てくる「夏は来ぬ」にも歌われてきました。
材質は硬く、腐りにくいことから境界や垣根として使われてきたのでしょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
我孫子市内、古戸地区の畑の卯木
一昨日は私の休日のため、自宅から自転車で手賀沼フィッシングセンターを経由し、久々に遊歩道を走り手賀大橋まで往復しました。
平日のためか若い人達はあまり散歩しておりませんが、年配の方がご夫婦で歩かれている姿を多く見受けられました。
それと釣り人が結構いて暫く見ていると釣り仲間に皆さんなっているようで常連のようですね。
以前この沼の汚染度は全国ワースト1でしたが、大分綺麗になってきているようですが、
汚れを表すCODは下記のとうりです。
我孫子市では、千葉県が測定している手賀沼中央地点(手賀沼フィッシングセンター沖)で月2回測定しているCOD値(化学的酸素要求量)を3ヶ月まとめて市内各所の掲示板や広報紙で公表いています。この数値の年間平均値は環境省が毎年公表しているCODの数値となるそうです。下記の数値が最近のものです。(千葉県水質保全課提供)
測定日 COD(?/L)
平成25年1月 8日 14.0
平成25年2月18日 9.6
平成25年2月26日 11.0
平成25年3月 5日 11.0
平成25年3月25日 10.0
※COD環境基準は5.0(?/L)
早く基準値に近づけたいものです。
でも、沼には沢山の水鳥が生息しております。アヒルのカップルでしょうか。
キジの雄も見かけました。岡発戸の谷津ミュージアムではつがいのキジを何度かみかけましたが。餌を捕らえたようです、どうもヘビのようでした。
水の館へ到着すると小学生の遠足でしょうか。丁度昼の時間なのでみんな楽しそうに昼食をしておりました。
もう一度戻ってみたいですね。
プルグラムの内容をみると、出演者のナンバーは129番まであり終演は午後5時の予定だそうです。
出演してる方々はご年配の人が大半ですが、歌はまだまだ現役そのものでした。
今日の企画は、湖北駅南口でカラオケの専門店経営の「オニヘイ」さんなのでしょうかね?ちょっと不明です。
ステージには「京一夫&ちづる」の文字が。きっと主催者なのでしょうね。
お二人についてネットで調べて分かりました。一夫さんとちづるさんはご夫婦で、デュエットソング「東京スカイツリーの歌」(2011年11月発売)を歌っているのです。
目指すは紅白だそうです。お二人は見かけませんでしたが、たぶん会場のどこかに居られるのでしょうね。
この歌を作曲した黒田秀明さんが会場に来られてましたよ。司会者より紹介がありました。
総合司会役の松?家三寿さん。歌もプロなのでしょうか、聞き惚れました。
熱唱する方々の一部です。
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下の写真が「東京スカイツリーの歌」を歌われた方々です。
デュエットしている方の格好が「一夫&ちづる」さんの格好のようです。
私は午前中で帰宅です。
災厄を除き、病魔をそけるためである。ヨモギで〈虎〉をつくり、〈菖蒲の剣〉を門上に掛けるのものも古来の風習であるが、その強い香気と薬性とによるのであろう。
日本では月の最初の5日を〈初五〉または〈端午〉というが、邪気をはらう節日(せつにち)として5月5日をとくに〈五牛〉〈重五〉などといって重んじたので,端午は五月に限られるにいたった。
この日は災厄をさけるために、薬猟(くすりまがり)を行い、ショウブを髪(かずら)とし、また軒にふき、あるいは薬玉とし、まくらの下にしき、酒や湯にひたしなどして用いるのを例とした。
端午の節句の供物としては〈ちまき〉と〈かしわもち〉が一般に知られている。
鯉幟は五月節句に立てられる外飾り。鯉の滝のぼりは立身出世のたとえにされて、江戸時代、五月節句の幟の模様にも鯉の滝のぼりが描かれていた。江戸時代の中ごろ、五月節句の幟の麾(まねき)に紙製の鯉をつけることがはじまった。麾とは幟の上方の横さおにつけるもので、普通には小旗を用いた。
のちに、この麾の鯉を大きく作って、それだけをさおの先につけて立てるようになったのが今日の鯉幟である。
書物にみえるところでは安永(1772〜81)のころすでに立てられていた。はじめは鯉の吹き流しとよんだようである。明治時代から、都市では幟はしだいにすたれて鯉幟と吹き流しだけが立てられるようになり、鯉幟と緋鯉(ひごい)とをとりまぜて立てるようになった。
ここまで世界大百科事典による。
ところで、午前10時より湖北台中央公園にて「湖北台 鯉のぼりまつり」があり、午前中1時間ほど見てきました。
規模は大きくはありませんが・・・・・
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ボーイスカウトの皆さんが作った綱渡り。多くの子どもたちがチャレンジ
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第13分団消防車が子どもたちに試乗させてくれます。
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花より団子。大人たちはビールで乾杯です。
近年機械化が進み、こちらの家の方はご夫妻と思われる2人での作業です。
私が小学校時代の頃は、田植えや稲刈りの時期になると農家の子供は何日か学校を休んでおりました。
それこそ家族総出で当たり前。大きな農家になると地方から出稼ぎの人が来ていた家もあったのを記憶してます。
しかし、機械化のおかげでわずかな日で終わってしまいます。ですが、大小経営にかかわらず機械を所有しており、収穫量<機械代でしょうね
一般的に米の収穫高は1反あたり(300坪)平均で8俵位だと思いますが、我が家では1俵あたり玄米で16,000円で農家より購入しております。
仮に1町(3,000坪)の耕作で128万円です。
おそらく現在市内で5町の自家水田を所有している農家は想像ですがわずかだと思います。
仮に、5町耕作して128万円×5ですから640万円になりますが、機械代金(トラクター・田植機・コンバイン・乾燥機等)と肥料代や自分の人件費等々を考えると採算が合わないですよね。
でも農家の方々は米を生産してくれているのです。有り難い事です。
6条植えの田植機
気候も暖かくなって草も生えだし、出来れば今日は休日を利用して管理をしている駐車場の除草剤散布を予定しておりましたが、天気予報でも今日は大荒れの予報。はずれてくれれば良かったのですが、大的中残念でした。
夕方には天気も回復したので、市内のホームセンターへ買い物に行くと駐車場からくっきりとした筑波山が大変綺麗に見えました。
我孫子からは筑波山まで車で約1時間程の場所です。温泉宿が何件かあるますが宿泊や入浴も一度も無いので泉是非入浴に行ってみたいと思いますが。
泉質は調べて見ますとアルカリ性単純温泉で、アルカリ度数はph10.1と非常に高く、美肌効果や神経痛、関節痛にも効能があると言われているそうです。
今日は幸い好天に恵まれ、多くの来場者が訪れました。解放されたホールは一部ですが、当倶楽部の各ホールには多くの桜があり、プレーヤーをより一層楽しませてくれます。
ゴルフ倶楽部では昨年までコースの改造が行われ、もともとは2グリーンで比較的小さかったですが、1グリーンになり大分広くなりました。
コース改造後はプレーをしておりませんが、桜の花弁が散るとグリーン上のマークが分からないほどでした。
16番ホール.グリーン方向をみる
16番ホ−ル.ティーグランド方向
13番ショートホール.左奥がグリーン 大分以前とはコースが変わりました。
14番ホール
以前のバンカーより易しくなった感じ。
コカリナの演奏。今日もご苦労様です。
とびのつがいが餌を求めて飛んでいました。
土器については、素焼きの土師器(はじき)と登窯で焼かれた須恵器( すえき)が数多く出土し、綺麗に洗ってから細かな内容が分かって来るとのお話でした。
高床式住居は7世紀末からたて穴式住居は8世紀前半だろうと推察しているようです。
円上の箇所が柱が立っていた場所
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何かは現在不明
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須恵器?
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この場所は日秀西原遺跡内にあり、市内でも遺跡の密度が高い場所です。周辺地域には「日秀西」・「日秀」・「別当地」・「チアミ」・「堀込」・「四間戸」・「北久保作」・「南久保作」などの遺跡がある。これらの遺跡は名称こそ分かれているが、実際はまとまった一つの遺跡、『日秀遺跡』としてとらえられる。
現在のこの発掘地では、溝と住居跡各1つずつのようです。
土器などは出土してないとの事でした。
各地で開花発表が毎日出ますが
いよいよ我孫子市内で桜の開花を見ることができました。
沢山の方が花見の計画を立てられているでしょうね。
市内でも何カ所もありますが、「我孫子の景観を育てる会」
が主催する「我孫子ゴルフ倶楽部」で4月1日に観桜会が行われす。
是非都合のつく方は行かれては如何でしょうか。詳しくはこちらを
昨日は、関東でも春一番の発表がありました。
梅の花も咲き出しましたが、過去の写真データーを見ますと
2010年2月12日には咲いていたんですよ。
北国はまだまだ雪の日が続くようですが、
今日の我孫子も風が冷たく寒いです。
今日、市内で梅が咲いているのを写しました。
何となく、春が近づいてきているようです。
春を告げる花
花言葉は「高潔」「忠義」「忠心」「澄んだ心」・・・
だそうです。
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しだれ梅 とても綺麗でした。
竹内神社は市内布佐1220番地にあり、祭神は天之迦具土命(相殿)は日本武尊 竹内宿祢 創始は承平年中(931−8)といわれ武内大明神を奉斎したと伝える。
古記録の類が安政6年(1839)の名主方の火災で失われたために不明であるが、別に「由来記」一巻がある。中略 森田左右衛門かかわる白蛇出現の伝承というのがあり、左右衛門(多右衛門と記すものもあるが)宮昨台の畑で麦の刈り取りをしていたところに、にわかに雷雨となっため、刈り取った麦を積み上げて置いて帰り、翌日行ってみると、一夜にして竹の子が生え、白蛇がとぐろを巻いていてとり入れができない。これは、たたごとではないとて、行者が愛宕神社に祈ったところ、「武内神社を此の地に移せ」との神託があって、さっそく遷座し、社名も武内神社と改めたというのである。
『相馬霊場案内』には「武内神社宮昨と称する処に鎮座してある、祭神天迦具土命にして、文禄2年の創建にかゝりしものであといふ、毎年例祭9月14、5,6日の3日間を以て、之を行ひ、郷社なるのを故を以て、県より神饌弊帛料の献進がある」と記されている。
このことにより、現在行われている行われている例祭の日がきまったのであろうか。
当社には、当社には鼻の欠けた天狗面もあり、その面表に「天保乙未(1835)4月祥日、細工人形山林哲」墨書きされている。当社の旧御輿は享保21年(1736)に調達したといわれ、さかんな御輿の巡行がおこなわれてきた。その先導役の猿田彦の仮面の旧物である。猿田彦(サルタヒコ)は、日本神話に登場する神導きの神様の代表格。鼻が異様に長く、サルのような面持ちであったようで天狗のような顔をしていたようだ。
当社の祭礼では天狗のお面を被った猿田彦が未だ先導役を担っている。
今年の当番は3丁目で、祭りを仕切るのは全て当番町が行い、神輿は当番町が担ぎます。
文章中 我孫子市史 民族・文化財篇より引用
御輿はお祭り期間中は役員が泊まりで管理するそです。
氏子代表のご挨拶
星野我孫子市長が挨拶 日曜日でもご苦労様です。
宮司が祭りの始まりの儀式を行う
祭りの安全祈願
玉串奉納
お清めを参加者に−−−中央のカメラマンは千葉テレビの方だそうです。29日放映予定
飛び入りの園児によるソーラン踊り。ふさだだしお君も登場
天狗の面を付けた猿田彦。暑い中ご苦労様です。
子供御輿が先頭で町中を練り歩きます。
高張り提灯を先頭に御神輿−−山車と続く
四人の巫女さんも行列に
お母さん達も熱心に
町内を練り歩きます。
夕方6時頃からメインの夜の部開始
町内を廻り、スーパーナリタヤの駐車場に神輿や山車が集まり大イベント開始
1番目に入場は2丁目の山車
今年当番役の3丁目の山車−−準備に大変です。ご苦労様
次に大和町
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5台の山車が勢揃い
山車どうしとのご挨拶?
高張提灯を先頭に神輿が到着
山車と神輿の競演(専門語解りません)?
花火の合図で神社へ向かいます。先頭は猿田彦(夜の部は履物が草履に変わる)
その後に神輿が練り歩く
356号よりの神社入り口前で、戻りたくない神輿はこの場所で暫くのもみあい
やっと参道へと向かう
急な階段を上り、神社へとすすむ
この階段が男気のみせどころだそうです。大変大変
神社へ到着
境内には当番役の3丁目の山車が待機、ここで山車と神輿のクライマックス
夜10近く3日間続いた祭りも終了。当番役の3丁目方々や関係者の皆様お疲れ様でした。
毎日猛暑が続いておりますが、昨日仕事を終えてから夕涼みをかねて見学してきました。
今年も、コカリナの鈴木鈴子さんとギターと歌の橋本実さんの共演で、懐かしい曲(約40曲)が演奏され来場者の皆様が聞き入っておりました。
庭園内に約500本の竹灯籠にはろうそくの火がともされ、とても素晴らしい雰囲気を醸しだしておりました。
又、昨年からは村川家が保存していたアルバムから、当時の我孫子の様子がスクリーンに写しだされ、一段と昔を思い出す懐かしさを感じさせてくれました。
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裏門から石階段を上がる
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演奏する鈴木さんと橋本さん
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我孫子町新庁舎
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我孫子駅前通り
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