新木駅開設

 昭和33年(1958年)4月1日成田線の新木駅が開設された。当時私が10才の時であり、開設式を見に行った事を記憶している。


 当日は快晴に恵まれて多数の来賓と地元関係者約二百人が参集して国家斉唱で式が始められ、この新木駅開設に日夜をわかたぬ努力を重ねられた次の三氏に町長から感謝状が贈られた。
     田口浩二・秋元志平・増田喜之

式が終わってから地元青年団の協力により祝賀演芸会が催された。

当駅は東我孫子駅と同じように駅員はおりませんが気動車は全部停車します。

青文字部分は我孫子町広報を引用する。


 現在の新木駅は人口の増加や駅南口の区画整理事業に伴い、開設された時のイメージはなく出口も北口と南口があり、平成10年12月1日からは業務委託駅となり早朝深夜をのぞいて駅員が配置されている。

0.新木駅.jpg
写真は布佐落合写真館撮影のもので我孫子町広報に掲載されたものです。

湖北高等学校跡地利用

 

昭和54年4月に開校された県立湖北高等学校が、平成23年度より布佐高等学校と統合し、我孫子東高等学校としてスタートする。


 湖北高等学校の跡地利用として、県立特別支援学校が設置されることが決まり、この学校の計画内容について湖北地区公民館にて説明会が午後5時より行われました。


 県からは、教育庁企画管理部教育課 教育立県推進室長の百瀬氏の挨拶にてはじまり、同教育振興部特別支援教育課 障害児教育室の谷口氏より、概要についての説明があった。


 計画概要は、知的障害の高等部の特別支援学校として平成26年4月開校を予定し、平成23年度から構造設計
(耐震)、24年度・意匠設計、25年度・改修工事が行われる。


 説明の後、参加者より若干の質問があったが約30分で終了した。
0.湖北高校.jpg
湖北高等学校
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0.説明会.jpg
県庁担当者の方々


湖北小郷土資料室

郷土資料室

湖北小学校の正門を入り、校舎の手前の右側に旧校舎を利用して「湖北小郷土資料室」があります。係の方に案内され資料室入ると、手前側がの部屋が文化財の修復や展示をしている場所でその隣には沢山の民具が展示されております。


 今日紹介する民具は、展示品の一部ですがご覧ください
藁うち機
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縄綯機
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長持
長持
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車長持
車付き長持
 非常時の場合、すばやく移動できるように車を付けた。
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運搬車
馬につけて運ぶ荷車
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ふれあいキャンプ場

ふれあいキャンプ場

今日、ふれあいキャンプ場の前を通ると沢山のグループの方々が

キャンプを楽しまれておりました。

 
 連休を行楽や帰省で遠くへ行かれのもよいでしょうが、近くでの

んびりとされるのも一つですね。

 


 若い人達や小さな子供達が楽しく過ごされておりました。宿泊さ

れているグループもおられるとか。


 ふれあいキャンプ場について、はここをクリックして下さい。


ふれあいキャンプ場

ふれあいキャンプ場

生まれ変わる旧我孫子市民会館

旧我孫子市民会館
生まれ変わることになった旧我孫子市民会館
だいぶ掲載が遅れてしまいました。我孫子市より医療法人社団蛍水
会に買取りされた旧我孫子市民会館が、3月31日付にて千葉県より
あびこ名戸ヶ谷病院に104床の病床の認可したと公表した。詳しく
医療法人社団蛍水会ホームページに掲載されております。
同病院は救急医療を手がける病院として開院するようです。
 我々市民にとっては有り難い事と思います。

我孫子市民会館跡地利用

我孫子市民会館跡地利用

 我孫子市民会館が柏市で開院している「名戸ヶ谷病院」が、この市民会館を市より3億2千万円にて購入。

 土地面積は6,814屐建物延べ面積7,163屐焚翅校匯坿漂皺櫃砲茲襦)です。

 
 県の医療整備課によると、この東葛区域(松戸、柏、流山、野田、我孫子)で現在約600床の認可申請が出ているそうですが、認可する予定病床は128床で、名戸ヶ谷病院が申請している数も128床だそうだ。

 県では、この年度内か4月上旬には可否の結論を出すようである。


 市がこの市民会館を売却する経緯は耐震強度やアスベストの問題等があり、民間に売却した方が財源的に良いと判断したようだ。


 市民にとっては、病院が出来る事は大変良いことだと思いますね。


我孫子市民会館跡地利用

我孫子市民会館跡地利用

我孫子市民会館跡地利用

我孫子市民会館跡地利用

我孫子消防署と消防団

我孫子消防本部

消防署と消防団

昭和37年、消防団常備部として部長以下14名水槽付消防ポンプ車1台をもって常勤の消防業務を開始した。昭和40年4月、政令指定により消防団常備部を廃し、職員27名をもって我孫子町消防本部・消防署を設置し、41年8月救急車1台をもって救急業務を開始した。昭和45年5月に湖北出張所、53年4月につくし野出張所をそれぞれ開設した。


昭和54年9月、消防本部・消防署新庁舎を竣工する。平成3年4月機構改革により東消防署、西消防署、湖北分署、つくし野分署の2署2分署体制とし、東西に長い地形の当市における災害の防除にあたっている。平成6年3月、緊急業務の高度化体制の整備をはかり高規格救急車を西消防署に配置し、救急救命士の乗務体制を整えた。


消防団
昭和30年4月、我孫子町、湖北村、布佐町の合併により団長以下908名となる。内訳は我孫子支団450名、湖北支団250名、布佐支団208名。装備は自動車ポンプ大型1台、三輪自動車ポンプ中型2台、小型動力ポンプ11台、腕用ポンプ18台であった。


同年11月、消防団結団式を合併祝賀会とともに我孫子中学校で開催。昭和37年11月、消防団常備部、部員(常勤職員)14名で発足。昭和45年7月、市制施行により、我孫子市消防団となる。6方面隊22カ分団団長以下279名となる。

同59年7月、第22分団(日立精機自衛消防)の退団により21カ分団となる。


消防団は、消防署と連携して災害の防除に努める非常勤公務員の立場にあり市内の各地域から選出され、構成されている。

我孫子市史 近現代篇より


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