寒さが続き積雪もありましたが、春の草花や木々は準備をすすめて、もう我が家の庭にも春の便りが届きました。
フキノトウがほんの少し顔を出してました。今朝、出勤前にカメラにおさめました。
フキノトウは香りも強く、天ぷらやフキミソにして食べ、酒のつまみにも結構いけます。
フキは菊科の植物としては珍しく雌雄が別の株になっている。
花を見て、黄色味の強いのは雄株、黄白色なのは雌株だそうです。

これは、雌雄どっちかな?
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寒さが続き積雪もありましたが、春の草花や木々は準備をすすめて、もう我が家の庭にも春の便りが届きました。
フキノトウがほんの少し顔を出してました。今朝、出勤前にカメラにおさめました。
フキノトウは香りも強く、天ぷらやフキミソにして食べ、酒のつまみにも結構いけます。
フキは菊科の植物としては珍しく雌雄が別の株になっている。

昨夜から我孫子市内でも今年初めての積雪があった。自宅では約5センチ程、積もりました。
晩酌が終わり、9時過ぎに外を見ると辺り一面が真っ白。妻に運転をしてもらい早速雪景色を撮影に。凍結はしてないのでノーチェーですいすい。さすが11時を過ぎているので車は少なく、道路の貸し切りみたいだ。
今朝の出勤時間帯は大渋滞で、国道356号と手賀沼沿いの道は、ほとんど動かない。Uターンしてメイン通りを避けて裏街道を進み、何とか無事定刻に到着出来ました。
しかし、事務所前が駐車スペースになっているために、雪かき作業をしなければならず、朝から大仕事になってしまいました。雪国の方々は毎日大変ご苦労様です。
柏市側より手賀大橋を望む。
五本松公園。桜が満開の様
湖北駅北口広場
今朝の成田線。電車が写ってればちょっと様になるんですけど・・・・
水の館
水の館、親水広場。
今日は久々にかき餅を干している、ある農家をお邪魔しました。
本来いはかき餅とは世界百科事典(平凡社刊)によれば「欠餅」と書き正月の鏡餅をくだいたり欠いたりした食品で、鏡餅はあえてわらなくとも自然に乾燥して割れてきます。
正月の11日に行われた鏡開きは、割れてきた鏡餅を手で欠いたりして食べるのがふつうであった、武家ではこの日の具足開に鏡餅刀で切ることをとくに忌む習慣があった。
欠いた餅は焼いて汁粉にしたり、あぶって食べた。
これとは別に、初めからかき餅にするために餅をナマコ(海鼠)形につくり薄く輪切りにしたものをかき餅あるしはナマコ餅という。

天日干しを1日行い、約1ヶ月ほど陰干しする。 そうすることにより、梅雨時期でも黴びず1年間保存出来るという。
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この餅を干している頂きまし板は、おばあちゃんがお嫁に来たとき時の張り板だそうだ。
私の子供の頃は市内の各地域で行われておりましたが、近年はめっきり少なくなり、珍しい行事となってしまいました。
地元の消防団の人達と消防車2台が待機し、安全に行われました。
竹や藁で小屋を作り、その中へ正月に飾ったしめ縄や松飾りなどを入れて燃やします。
6年生の男女各1名が最初に火をつけ、続いて先生や父兄の方たちも火をつけます。瞬くまもなく燃え上がると取り囲んでいる児童たちが「あわのとりのほ〜いほ〜い」とかけ声をかけます。その火で餅を焼いて(あぶって)食べると風をひかないとか1年間無病息災で過ごせとかの説があるようです。
そもそものあわんとりの歴史は詳しくは分かりませんが、厄除け,虫除け,豊作を祈願して粟を食べる鳥を追い払い,豊作を願う事からはじまったようです。

小屋へ飾り物を入れる児童たち
6年生の男女1名づつ最初の火入れ役に、えらばれた。
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消防車も待機
しのの先に餅を付けあぶる。
雪は約15分位で止んでしまいましたが、今年の初雪でしょうか。
積もられても大変ですが、雪化粧を見たかったですね。
我孫子駅より徒歩約8分の緑2丁目に杉村楚人冠記念館が平成23年11月にオープンいました。
土地面積は5200平方メートル、旧邸の修繕費は約7000万で市指定文化財とした。
楚人冠(本名 広太郎・1872−1945)は明治末期から昭和初期に東京朝日新聞で活躍したジャーナリストです。
調査部や記事審判部の導入、縮刷版の発行、日刊『アサヒグラフ』の企画、大学の新聞学科での講義など、日本初の試みを行った先進的新聞人でした。
また、読みやすい文章や独特の皮肉とユーモアをちりばめた彼の随筆やコラムは、当時人気を博しただけでなく、戦後の文筆家にも影響をあてえました。
楚人冠は手賀沼の風光を好み、明治45年(1912)年に我孫子に別荘を買い求めます。
その後、関東大震災で二子を失う不幸に逢ったのを機に、一家で移住しました。
そしてこの地で、手賀沼の景観保護活動に取り組んだり、我孫子ゴルフ倶楽部の開設と我孫子発展に尽力しました。
また、湖畔吟社としう俳句結社を作って地元の人々と交流するなど、大きな足跡を残し昭和20年(1945)年に自宅で息を引き取りました。
杉村楚人冠記念館パンレットより引用
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母屋 庭には楚人冠が好んだ椿が数多く植えられている。
地震に備えた銅葺きの屋根と洒落た煙突
茶室
澤の家(楚人冠母堂の居宅)
数々の災難の多かった平成23年が終わり新年を迎えました。
しかし、被災され避難されて地元を離れておられている人々や、寒さの中仮設住宅で新年を迎えられた方にはエールを重ねて送らせて頂きます。1日も早い復旧を願っております。
今年は災害等が起きず平穏な年になることを心より切望する次第です。
今年も我孫子の様子を少しでも多く発信して行こうと考えてますが、まだまだ現役で仕事をしてますのできめ細かい内容はお知らせすることは出来ません。
ところで、今日3日にして日の出(6時50分)を見ることが出来ました。
マイナス2度の手賀沼開拓地からの日の出の模様です。
残念乍ら雲が出ており、すっきりした写真は撮れませんでした。
AM6:32
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AM6:50
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AM7:11
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薄氷がはった用水路